昭和41年10月02 朝の御理解



 昨日お月並祭が終わりましてから、色々丁度一時過ぎまでお話をした事出御座いますけど。御造営の方も段々進んで、もう内伝、お宮の方にお仕事を掛からせてよいというので、先日高橋さん達に日田の方へ、あちらの竹野という、宮大工さんに前見て貰っておりましたし、お願いをする事になっておりましたから、あちらへ参りましたんです。だから、それで私はまぁ良いと思っておった。
 所が、昨日色々委員長から話を聞かせて貰ったんですれども。どんなに考えてもその、竹野さんに申し訳ない事になっておるというんですね。というのはですね、私も大体始めはそうだったんですけれども、もう内殿関係は全部ね、いうなら、内殿、外殿も神様の所はもう矢張り宮、大工しなければならない仕事がいくらでもあるんですよね。ですからこちらが全部、竹野さんが、にして貰えるもんだと私は思ってたんです。所が、もうその話を聞いて、いやぁ成程そうだと。
 もうほんのお宮さんのとこだけね、お宮さんのとこだけ、その宮大工にして貰えば良いだけに、井上組の方でやってたんですね。それで、そのあちらへ高橋さん達が行かれましてから、相当その、自分を向こうの事、そう思っておられるらしいんです。だから、大掛かりに色んな機械なんかも、運び込まなければならないという話し合いがあったのに、どう思っても、まぁ気の毒だと云う訳ですね。来てからがっかりされるだろうと。言わば仕事の殆どをしてあって、唯ほんのお宮の所だけ。
 だから簡単にいうならです、もうあそこにお宮を買うて来て、据えればちょっとまぁ普通のいうならですね、いよいよの所まで出来ておる。まぁ普通の仕事素人の家でいうならば、床の間なら床の間に神様をこぉお祭りをするので御座いますから、責めてなら床の間の所から、向こう位はお願いをすれば良いのだったけど。ほんな、そのお宮だけをに、成っておる。それで、竹野さんも見えてからがっかりするだろう。
 こちらとしても、まぁ今までこちらの仕事がはかどっていなかったからではあるけれども、今までも何とも言わずに行ってお願いをする。お願いをして来て貰って、いよいよ向こうのしたいと思う仕事はこちらではしてしまって。もう、ほんなお宮さんの所だけが残っておるのですから、まぁ~委員長として、これはもう本当に気のどくなことになったと、こぉ言う話でございます。
 その本当に、そうだったなぁこちらの、しかしちゃんと井上組に、もうとにかくお宮さんが入ります前にこぉ回廊というのが出来てますよね。こぉ上がって行く所やら、そのお宮さんの前の回廊。この回廊が出来ます。その回廊の所まで、こちらがする様になっておるんだそうです。だから、井上組にしても、もう材料が、ちゃっとそこにももう買うて、するばかりにしてあるんだそうです。
 ですけど本当のお宮さんだけね、私もそれを思わんではなかったけど、その内伝の仕事をする時に、ほぉこげんとこまで井上組がするばいの、けれどもその委員長が聞いてから、ほぉ来て貰っても、気の毒な事だなぁと私は思ってですね。その事を今朝からも、本当にあの折角して貰うなら気分ようして貰わにゃならんから。まぁ見えられたらどう言う風に言わして貰おうか。どう言う風にしたらよかろうかと私は思わして頂いておりましたら。あのかしわ饅頭ですね。いどらん葉饅頭とこの辺では言います。
 あれはもう、出来立ちのいかにも美味しいから、そうなお菓子鉢に盛ってから、応接台の上にあげてある所を頂きます。あの大工さんに似合わずに、竹野さんはぜんぜん御神酒が出来られんのです。そしてもう甘いものが目がないと言う訳です。まぁいうならあちらの好きなものででも、機嫌を取るとこぉ云う事だと私は思ったんですね。勿論それは甘いものでつろうと言った様な事ではないでしょうけれど、とにかくあちらの心に例えば向こうの心意気というものがです。いや是だけでも良いんですと。
 まぁ是だけ言わば、神様のお鎮まりになるそこだけでも良い。私、いやもぉ一つ本気で御用させて頂こうと、云う様な気持ちになって頂くという。これはそんなもんですもんね。矢張り好きな物に、釣るとか釣らないと言いたら、可笑しいですけれども、人間とね、その色んな話し合いでもそうですね。自分のどんな事でも、例えば儲からないでも、良い話であってもですね。何か相手が良くなかったら、あんまりこちらが、言わば食指を動かしたくないね。
 けれども、それはあんまりそれに、もうけに謝らなくても、良い仕事ではなくてもです。矢張り、食指の動く仕事があるんですね。ですからそういうのを、お繰り合わせを頂かなければならんと云う事を頂きましたから、なら果たしてそれは、どういうなら、心持というか。どういうその羊羹とか、饅頭とか、好きな物をこぉ並べておる、置いてそのあちらの、機嫌を取り結ぼうと言う様な事ではないと私は思うね。
 それに、あんなもう同じ様な、言わばこちらの心の状態というか。そういうものを相手、本当に求めれて居られる物を、こちらから寄与しなければならんじゃろうと、言う風に思わせて頂いておるので御座いますけれど。まぁそんな事から、御神前に私座らせて頂いてから、本当にそして、二十九日はあいう、生誕祭のお祭りを使えさせて貰まして。皆さんもご承知の様に、まぁ賑やかな生誕祭である。
 ご神前の方もあれだけだった。見事なお供いを頂いてから、お祭りを使えたそのよく、翌日の一日の月並祭にやっぱりあれだけのものが集まっておると云う事。沢山の真心というものがです。まぁいうならば神様の心を動かし奉る為に、お供いするだけではないけれども。まぁ神様に喜んで頂く為のお供いを皆さんがあぁして一杯なさっておられるんだと。あの日沢山こうやってお供いをしているが、そう言う風になら例えば。
 今度は椛目の人達が向こうの、宮大工の竹野さんの心をです、掴んで外さない様なものあれば。仕事は少しばかりであってもです、もう向こうがその意気に感じて、仕事をして下さると言った様なおかげを頂くと同じ様な意味合いにおいて、神様も矢張りそう云う様なものがなからなければならんが。これだけ沢山のお供いが来ておるが、どのお供いが一番だ、大体、菊正宗の良いお神酒の、あれが一番じゃろうかと私思う訳なんですね。まぁ言うならば、値段も一番最高のですよね。
 お神酒の中では、菊正宗の超特急のお神酒ですけんとはですから、ふと思わせて頂いたら神様からね、頂きますのが一番真ん中の中心千年の松の前に小さい箱でお供えになっとるでしょう。あれを頂きます。それで私は、あれはあの誰がお供えしちゃるじゃろうか、知りませんでしたから聞きました夕べ。そうしたら、あれは○○さんが持って来ておったと、青年会の方なんです。あれは、あの今のサントリーのウイスキーの会社が作ったあの最高のウイスキーだそうですね。
 その人は全然お酒を頂かんと言う訳ではないけれども、お得意さんから頂いたというんです。ここでお供いする時に、その事を言われるのに。けれども、僕達が頂いたんじゃ勿体無いから。神様にお供いさせて頂きたいというて、そのまぁ持って見えてるらしいんです。はぁ成程、それで神様の、まぁ是が一番とこぉ仰って下さったんじゃろうと私は思うた。是は、皆さんはそうではないかも知れませんけど、今の青年の方達はですね、もうそれこそ、洋酒なんかも、もうビンだけでも欲しがるんですね。
 今ごろの、青年の方達は。そして自分の部屋に、洋酒の様々な洋酒を、こぉ飾ってでも置きたいと言う位に、その洋酒には、まぁ執着を持っておる。又は、しかもそういう素晴らしい洋酒を。最近結婚されたんですから、まぁ新しいまぁ新婚ムードの部屋にです。洋酒の一本もあると云う事は確かに、良い、いい事なんです。まぁ皆んながそうしたいんです。けれども、洋酒というのは中々高いから、それがでけんだけの事。
 いうなら、執着の付きそうなものなんだけれどもです。そういう例えば見事な物を頂いたけれども。自分が頂くというのは勿体無いそれで、神様にお供いさせて頂こう。成程此のお供えの中では是が一番だと云う事。所謂神様の前に丁度、竹野さんの前にお饅頭やら羊羹やら並べた様にです。神様の前に、神様が一番言わば心を踊らしなさるというか、喜びなさるというか。食手を動かしなさるならばです、あの洋酒を一番に手に掛けられるであろうという、感じで御座いましたね。
 私共が人に物を一つ頼んでもね、あちらが何がお好きじゃろうかね。先日も私はその竹野さんの所へ参ります時に、あっちがお酒が好きなら、お酒でも持って行って良いけれど。あっちはお酒を飲まれんから。何か甘いものでも持っていって下さい。丁度、カステラも頂いたばっかりでも御座いましたから、まぁカステラを持たせてやったんですけれども。あのやっぱり一つの進物するでもあちらの好きな物ね。心が動かしなさる様なものを進物それはもう、金の高いとか安いとかね、大きいとか小さいと言った様な事じゃない。いわゆる相手に一番喜ばれるものをと。心の中に念じます様にです。
 矢張り神様の前に奉らせて頂くでもそうです。神様が一番喜んで下さる物。そんなら、この前はあれやったけん。今度は是と言う様な、言うんじゃなくてですね。なら、神様は一番お好きといや、お神酒だと仰るですからね。勿論それは有り難き、勿体無き、恐れおきと。そう云う様なものが中身に篭もっておらなければならんのですけれども。成程、有り難き、勿体無き、恐れおきと云う様な物がです。まぁ恐れ多うきと云う事もやっぱり入っているのかも知れませんよね。
 自分達が頂いたんじゃ恐れ多い。自分達が頂いたんじゃ勿体無いと言った様な物がです。私はやっぱ入っておるんだね。神様を動かし申し上げても、人間をも、動かすのでも。やっぱりその真心。こちらの心の使い方。もうこの人は是が一番お好きだから、その好きな物を私は前にならべる位に、その人の心が動くと云う事はなかろうとこぉ思うね。神様がお好きなのはやっぱり真心。有り難き、勿体無き、恐れ多きのそれ。ですから、私共がです十円のお賽銭を奉らせて貰うでも。一本のお神酒の御供えをさせて頂くでもね、そういう心がです、その中に使われておかなければならないと。
 云う事を改めてこう感じさせて頂いたんですけれども。所がです、もうその青年の方がです、もうそれこそ本当にたまがる様な、その後においておかげを受けておられると云う事ですね。まぁ是はちょっと、はばかりますから、申し上げられませんけれども。もう本当に神様が、言わばただ取りはしなさらんなぁと云う事ですよね。言わば本当にそれこそ勿体無い様な、おかげを次に又頂いておられると云う事です。この話を聞かせて頂いてから、尚又それを私はそれを思わせて貰ました。
 その折角信心をさせて頂くのは、矢張りその真心の追求であり。言うなら有り難き、勿体無き、恐れ多うきというそう気持ちをさせて頂く事の上にも、心の状態の上にも頂いてね。例えばなら御供え一つでもさせて頂くでも、その御供えの中に、そう言う物が込められておるかどうか。本当に合い済まん事だなぁと言う所には、本当に合い済みませんという。言わば謙虚なお詫びのそれがその中身に入っておる位の物は、お互いなからなければいけないと思うんです。 
   どうぞ。